ラッセル「幸福論」
何故私たちはサッカーが好きなのだろう🤔
私たちは「大地」の子である。私たちの生は「大地」の生の一部であって、動植物同様、大地から養分を引き出している。
「大地」の生のリズムはゆったりとしている。
ロンドンを離れたことがなく、初めて緑の田舎の散歩に連れ出された2歳の男の子に出会ったことがある。季節は冬で、何もかもが湿気を帯び、どろだらけだった。
おとなの目には喜びをもたらすものは何もなかったが、男の子の心には、不思議なエクスタシーが湧き起こり、彼はぬれた地面にひざまずき、顔を草にうずめ、半ば言葉にならない歓喜の叫びをあげた。
この男の子が経験していた歓喜は、原始的、単純、かつ大きなものだった。そのとき満たされつつあった生物的な要求は、非常に深いものであり、その要求が満たされていない人びとは、正気であるとはほとんど言えない。
快楽の中には,たとえばギャンブルは好い例だが,こうした「大地」との接触の要素がまったくないものが多い。こうした快楽は,終わるやいなや,人を無味乾燥な気持ちや,欲求不満で,自分でも何がほしいのかよくわからないものを切望する’気持ち’にさせる。そのような快楽は,’歓喜’と言えるようなものは何ひとつもたらさない。これに対して,私たちを「大地」の生と接触させるような快楽は,その中に深い満足を与えるものを含んでいる。こうした快楽は終わったとしても,その快楽が続いていたときの強さは,より興奮をもよおす娯楽の与える快楽の強さには及ばないだろうが,そのような快楽がもたらした幸福感は残り続ける。

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